姉から差し出されたそれを見てアルクェイドは最初なんなのかわからなかった。

しかし、すぐになんなのか思い至ったのだろう。

驚愕した表情で姉を見やる。

「!姉さんこれ・・・」

「そう、かつてアルクちゃんがロアに騙され血を吸い、暴走した時に私とお爺様とで止めたその時の戦利品。そしてアルクちゃんの力が篭ったもの」

六十七『髪』

自身がかつて失われていた髪を目の当たりにして言葉を発せれないアルクェイド。

それを尻目にアルトルージュは今までにないほどの真剣な表情で髪を握りながら言葉を紡ぐ。

「この髪をアルクちゃんに戻してアルクちゃんには全盛期の力を取り戻してもらう・・・本音を言えば使いたくない。だけど・・・だけどはっきり言うわ。あれに対抗出来るのはお爺様の宝石剣か『真祖の白き姫』と呼ばれ畏れられた全盛期のアルクちゃんだけ。私の『月界讃美歌』ですら歯が立たない以上これに賭けるしかない」

「何か問題でもあるの?」

「大有りよミス・ブルー。これはアルクちゃんが暴走していた時の力よ。もしかしたらその時の感情がこの髪に残っていたとしたら・・・この髪はアルクちゃんにとって最悪の毒となる恐れがあるの・・・言い方を変えればこれはアルクちゃんの荒御魂と言っても過言じゃない。そしてもしもそれに感化されたとしたら・・・」

その後は言わなくてもわかる。

最強の真祖の姫君が魔王に堕ちる。

それは『六王権』以上の脅威となって人類に襲い掛かるであろう事は疑う余地もない。

何よりもそれをアルトルージュは恐れていた。

それを聞き、口をつぐむ一同、

これがいかに危険極まりない賭けなのかそれを誰よりも理解した。

誰かが口を開かねばならない。

何時までも敵は待ってくれないのだから。

しかし誰も口を開けない。

そんな奇妙な膠着状態はあっさりと崩れた。

「姉さん、髪を戻して」

他ならぬアルクェイド本人によって。

「アルクちゃん・・・良いの?」

危険極まりない賭けだと言外に伝える。

「構わないわ。それでしかあれを打破できる術はないんでしょ?だったらそれをやるだけよ。それに・・・志貴だって私達の為に自分の中の七夜を閉じ込めているんでしょ?だったら私だって出来る筈よ」

もしもこれを志貴本人が聞いていたとしたら愕然としただろう。

妻達・・・特にアルクェイド、アルトルージュ、秋葉を守る為極秘に自分が封じていた死神の事を当の本人達はとっくの昔に承知していたなど。

「そうね。志貴君は私達の為に、私やアルクちゃんの吸血衝動よりはるかに厳しいものに耐えているんだからアルクちゃんにも耐えられるわよね・・・じゃあ始めるわよ。お爺様、ブルー、フィナ、それとメレム。すまないけど『六師』の攻撃防いで。アルクちゃんの髪を元に戻すには少し時間が掛かるから。

「わかりました」

「了解」

「かしこまりました姫様」

「仕方ないか・・・断ったら何されるかわからないし」

四者四様の返答を見せて、それぞれ迎撃を開始した。

「そりゃ」

気のない声で打ち出された魔力弾は次から次へと光弾、闇弾を相殺し、

「ふん」

質よりも量を重視したゼルレッチの宝石剣の斬撃は虹色の衝撃波を次々と生み出し消し飛ばす。

「全艦てぇ!」

フィナの号令の元『幽霊船団』は撃ち減らされた中でも残存艦艇が砲撃、次々と『光師』、『闇師』を守る障壁に激突を繰り返す。

メレムの左足と右腕の悪魔は生み出す獣や銃撃で相殺したりあるいはその身を盾にして攻撃を防ぐ。

無論無事では済まないが、グランスルグの『死羽の天幕』に比べれば可愛いもの。

少なくとも再起不能にすぐさま追い込まれる事も無いからだ。

そんな中、アルトルージュはアルクェイドの髪を元に戻す作業に没頭していた。

一本一本、魔力を通して切断面を次々と融合させていく。

そして融合される毎にアルクェイドの表情は苦悶に満ちる。

おそらく、いや、間違いなく暴走した時の力と感情が流れ込みそれに翻弄されているのだろう。

それでもアルクェイドは懸命に耐えている。

破壊衝動や殺戮衝動もそうだが、なによりも吸血衝動にも。

十二年前、志貴が身の危険を顧みずアインナッシュから真紅の実を奪取し、それを摂取した事で吸血衝動から解放されていただけにその反動も大きかった。

だが、それでも耐えた。

あの姿に戻りたくない。

愛する志貴も自分以上の苦しみに耐えているのだから自分も耐えないと。

その一心で、ともすれば吹き飛ばされそうな自我を懸命に只管に保っていた。

しかし、そんな最中、

「姉ちゃん!溜まったよ!」

「よし!一気に潰すわよ」

「オッケー!『ガブリエル』もう一度解き放って」

「『ルシファー』!遠慮も容赦もなし!全てを破壊しつくしなさい!」

―カオス―

同時に光と闇の混在した混沌の奔流が解き放たれた。

咄嗟に右腕と左足が受け止めるがどこまで持ちこたえられるがわからない。

「くっ!宝石剣のチャージも間に合わん!」

運悪く宝石剣の魔力が尽きた直後の発動である為とてもではないが間に合わない。

アルクェイドの髪を戻す作業も三分の二は完了したが時間はまだ必要だ。

それまでメレムの悪魔達がが持ちこたえられる保証などどこにもない。

かといって時間稼ぎの為に後退でもすればイスタンブールは確実に滅びる。

進退窮まったかに思えたが、そこへ

「ゼルレッチ!連れてきたで!」

コーバックがシオンを連れてきた。

旗艦に乗り込むためだろう、シオンをお姫様抱っこして。

「いい加減放しなさい!もしも志貴に知られてあらぬ誤解を招いたらどう責任を取る気ですか!」

妙な方向に怒り狂い咆哮していたが、ともかくもコーバックがシオンを降ろすとゼルレッチは本題に入る。

「エルトナム、お前にこいつを渡す」

そう言って差し出したのは一発の銃弾。

「??ゼルレッチこれは・・・」

「お前から預かった槍鍵と士郎から借り受けた魔弾の模造品を組み合わせた試作弾だ」

ゼルレッチが士郎から魔弾を一発借りていた事は前にも述べていた。

魔弾を借り受けたゼルレッチらはその構造を徹底的に調べ上げ、その結果、劣化だが似た現象を引き起こす模造魔弾の試作に成功した。

その魔弾に槍鍵をコーティングした特性弾、それこそゼルレッチがシオンに渡した弾丸の正体だった。

「ですが・・あの混沌の奔流が相手ではこの特性弾といえど・・・」

「いやそうでもない。士郎の持っていた魔弾の効果は相手がどれだけ魔術をいや正確には魔術回路を起動させているかで威力も違ってくる。あれが相手の全開でなければお手上げだがおそらくは相手も全力、そこにこれを撃ち込めば・・・」

「まだ勝機が見えると?」

「可能性だけだがな。それに加えそいつには槍鍵も加わっている。魔弾の効果が仮になかったとしても槍鍵の威力が残されている。それを使えばあの混沌の奔流を掻い潜り『六師』を直接たたけるかも知れぬ」

「当然ですがそれも・・・」

「可能性にすぎぬ。どうする?伸るか反るかそれを決めるのはお前次第だ」

「・・・ひとつ確認を。この試作弾を使って『六師』の二人を倒せる可能性は?」

「残念だが、これ単体では倒せる可能性は低い。だが、時間稼ぎは出来るだろう。もう少しなのだ。もう少しで・・・」

その視線の先には残り少ない髪を懸命に融合させるアルトルージュの姿。

アルクェイドは先程からうつむきその表情を窺い知る事は出来ないが、小刻みに震えるその様子だけでもどれだけの衝動に耐えているのかがいやでも窺い知れた。

「・・・わかりました。この弾丸、ありがたく使わせてもらいます」

「ああ、すまん。それと・・・そいつの純粋な威力だが我々の予想を超えて上がり過ぎている。いくらバレルレプリカでも耐えきれるかどうか・・・」

「構いません。どのみちあれを防がなければ私達に先はありません。それの代価がこれ一丁ならば安いものです」

そう言ってシオンはバレルレプリカからマガジンを抜き出し、一番上の弾丸を抜き取りそこへ特性弾を装填、マガジンをバレルレプリカに再度装着。

それから、バレルレプリカのセーフティを後ろに引き出す事で本体に装填されていた弾丸は排出、特性弾が代わって装填され、あとは引き金を引くのみとなった。

そこへ何か小さいものが吹っ飛ばされ甲板に叩き付けられる。

それは右腕、左脚を失ったメレムだった。

混沌を受け止めていた二つの悪魔が耐えきれず消滅したのだろう。

見れば再び混沌の奔流は今度は旗艦を呑み込もうと迫りくる、もはや一刻の猶予もない。

「行きます!」

バレルレプリカを構え狙いを定め(もっともあれだけの巨大な的であれば定める必要もないが)僅かの躊躇いをみせた後、引き金を引いた。









一時的に壁となっていたメレムの悪魔二体を文字通り消滅させた後『カオス』は今度こそ『幽霊船団』旗艦を呑み込もうと只管に突き進む。

もはやそれを遮るものは無いかに思われた。

しかし、次の瞬間、『カオス』はそれに匹敵するさらに巨大な力によってせき止められた。

「!姉ちゃん何かに止められ・・・」

言葉が終わるよりも早く『光師』は吐血していた。

同時に全身を駆け巡る激痛に苛まれた。

そしてそれは『闇師』も同様であった。

口からはとめどなく血を吐き出し激痛に意識が飛びかける。

だが、それでも意識を保ちつつ、

「何か・・・やってくれたわね・・・『光師』!これ以上奴らに小細工させる気はないわ!最大出力でここ一帯を消滅させるわよ!」

「りょ、了解!」

『カオス』の出力を最大限まで引き上げた。

よほどの何かに止められていると言う事は理解していただろうが、二人ともそれの正体がたった一発の弾丸だったとは夢にも思わないだろう。

混沌の奔流を受け止める特性弾、その威力は書くまでもない。

しかも魔弾の効果で『光師』、『闇師』双方の魔術回路は乱され崩壊寸前まで追い詰められた。

オリジナルであればおそらく成す術もなく二人は文字通り完全破壊されていた事は疑う余地もなかっただろうが贅沢は言えない。

それの代償は決して小さいものではなかった。

まずバレルレプリカは特性弾発射の衝撃で破壊されている。

そしてシオンの両手は猛烈なエネルギーのあおりを食らって重度の火傷を負っていた。

しばし拮抗していたが、ついに力負けした。

特性弾が混沌に飲まれ消滅する。

勢いを取り戻した混沌はついに旗艦を呑み込み消滅するかに思えた。

しかし、それはいともたやすく止められた。

黄金の長髪をなびかせるアルクェイドの片手によって。









特性弾が消滅するその寸前、ようやくアルトルージュはアルクェイドの髪全てを融合させる事に成功した。

同時に怨念じみた瘴気がアルクェイドの全身を駆け巡る。

その様子に思わず失敗の二文字がアルトルージュの脳裏を駆け巡るが直ぐに瘴気は嘘の様に掻き消えてしまった。

「アルク・・ちゃん?」

「んーっロアの怨念って思っていたより大した事なかったみたい」

背伸びしながら何時もの口調でのんびりと言うアルクェイド。

その表情に苦悶の文字は欠片もない。

「大丈夫・・・なの?」

「うんっ平気平気。やっぱり志貴の愛をいっぱい貰ったおかげかな?最初は苦しかったけど志貴の事考えていたらあっという間に消えちゃった」

何でもないように言うアルクェイドにアルトルージュは本気で呆れていた。

「・・・呆れた・・・やっぱりアルクちゃん最強よ」

「当然、なんたって志貴の奥さんなんだから」

そう言ってアルクェイドは艦首に軽やかな足取りで立つと片手で混沌に触れる。

無いげないただそれだけで混沌の動きは完全に止まった。

「混沌か・・・人の身にしては上出来だがまだ威力が足りぬ」

囁く様に謳うように発する言葉には先程のアルクェイドには無い威厳が確かに存在していた。

「だが、陽の意思に従い、その身尽きようともあ奴に付き従ったお主達に我はせめての慈悲と褒美を与えよう」

そう言うかアルクェイドの手に混沌が生み出される。

それは瞬く間に成長をみせ、『カオス』と同じ大きさにまで膨れ上がる。

いや、大きさこそ同じだがその威力には雲泥の差があった。

『カオス 』を押し返し、さらに巨大に膨張していく。

「な、何よこれ・・・『光師』威力上げれないの?」

「無理・・・もう一杯一杯」

あまりにでたらめな膨張に絶句する。

「では行くぞ・・・ご苦労であったな。あれに誠心誠意仕えてくれた事心よりの謝辞を言う。ゆっくりと・・・休め」

そう言うやアルクェイド側の混沌が一気に放出された。

勢い、威力全てがけた違いのそれはあっという間に『カオス』を吹き飛ばし『闇師』・『光師』を薙ぎ払い吹き飛ばした。

それが終わるやアルクェイドの髪は融合していた部分が掠れ消えてしまった。

突然の事に状況をその場にいる全員上手く判断出来なかった。

「これって・・・」

「うーん、わたしにもよく判らないけど私の体の中に入っちゃった。いつでも髪を伸ばす事は出来るみたいだけど」

本人は特に気にせずあっけらかんと言うだけであったが。









同時刻大地に叩き付けられた『光師』・『闇師』だったがその姿は首だけ、下の部分はアルクェイドの混沌に全て消し飛んでしまった。

だが、それでも意識ははっきりと残っていた。

「姉ちゃん、死ぬのかな?」

「あんたまだ生きたいの?」

「王様や 皆がいたらまだまだ生きたいって思っていたけど・・・それも叶わない夢なんだよね」

「そうね。皆逝っちゃった。残すは陛下と兄上だけ・・・でも向こうでも会えるわよ」

「そうだよね・・・うん」

「だから・・・陛下にお返ししましょう」

「うん姉ちゃん」

そう言うや二人の目の前に光と闇の球体が姿を現す。

「『ルシファー』・・・あんたとは本当に長い付き合いだったわね・・・ありがとう・・・今度は陛下のお力となって」

「・・・『ガブリエル』・・・僕と一緒にいてくれてありがとう・・・今度は王様の為に戦って」

「行きなさい」

「行って」

二人の言葉にやや躊躇うようなそぶりを見せた球体はやがて望む方向へと飛翔する。

それを見て満足そうな笑みを浮かべて『光師』・『闇師』は静かに消滅した。









五都市の戦いは全てでその幕を閉じた。

人類側は『蒼黒戦争』開戦以来最大規模の戦死者を生んだがそれでも『六王権』軍は幹部の二十七祖さらには『六王権』側近『六師』を全て失った。

もはやこの戦争はこの時点で終結したも同然だった。

しかし、戦いは終わらない。

『闇千年城』での二つの最後の聖戦が終わらずしてこの大戦争は終わりを見せる筈もないのだから。

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